「困ったな」
今日何度目かのこの言葉を、自分の服の会計をしながら呟いた。
聞いた人は、お金が無いのにこんなにカードで買い物をして困ったな、
と言うことだと捉えるだろう。
しかし、私の頭の中は憎らしいほどご主人様のことでいっぱいだった。
もしかしたら、「プレゼント好き」な人と言うのは、こういう感覚が好きなのかもしれない。
…どちらにせよ、おめでたい事だ。
せめて私も、ご主人様に気に入られなかったプレゼントの末路を知らなければ
もう少しくらいウキウキとプレゼント選びに没頭していたのだろうか。

ご主人様の好きな色は…赤。好きな芸能人は…田原俊彦とマイケルジャクソン。
好きなアニメは、ガンダム。好きな服装は…なんていうのかな。派手なもの。
いつも脱色して金髪にしている髪の傷みを気にしていて。
コンタクトの目がしょっちゅう乾いたり疲れたり。下手すれば傷つけたりして。
外食しかしないからいつもビタミン剤を飲んでいて……

そんなことを脳みそに羅列していると、消耗品のプレゼントしか思いつかなくなった。
ビタミン剤。コンタクトケア用品。いつも使ってる整髪料。
それに、これから花粉の季節だから、予防対策グッズ。
そういったものならいくらでも思いついた。
でも、どれもこれもわざわざ誕生日プレゼントにするには不適当に思われた。
あげるからには毎日使ってほしい。大切にしてほしい。
もう、どこか意地になっている部分があった。
…プレゼントを贈る側というのは、相当欲だらけなのだな…
漏れる溜息は白く視界を霞ませた。

もう面倒くさいから自分の欲しい物を選んでしまおうか。
いらないと言われたり、粗末にされていたら返してもらって
自分が使うなり何なりできるもの。
「……あ」
どうして光明というのは捨て鉢にならないと見えないものなのだろうか。
いや、捨て鉢になっていない時は光明など見える必要の無いものなのか。

早速、目当てのものがありそうなお洒落な百貨店に入った。
店内はほんの数日前のバレンタインデーを完全に忘れ去ったかのように
ホワイトデー仕様全開になっていて、ひどくげんなりした。

「これだわ……」
迷うことなく見つけたそれの手触りに酔いしれる。
枕。
流行の低反発素材とやらを使ったものだ。
同じようなものでも、何が違うのか値段はピンキリだった。
予算はあまり無いから、そこそこの値段のものを手にとる。
なにより、その形状が最もご主人様の好みに合っていた。
「枕は低いのが好き」
何かの折に聞いていた情報だった。
これならお気に召さなくても簡単に捨てたり失くしたり人にあげたり出来ないと思うし、
なにより、使われていなければ泊まった時に私がそれを使えばいい。
我ながら名案を思いついたものだと思った。

ずーっと眠りたい、というご主人様の、時間的な願いこそ叶えてやれないが、
せめてこれで快眠してくれたらいいな…なんて、
プレゼントする側と言うのはどこまでもおめでたくて強欲だ。
実のところ、もう8割方は気に入ってくれることしか考えていない。
ただ、外で渡すには多少…いや、随分かさばる物である、ということ以外は。

目的のものを魔法のカードで購入した後、上の階へと赴いた。
その時点では特に何も考えていなかった。
ただ、買うでもなくそれらを眺めるのが好きだから、
そのコーナーに立ち寄ったに過ぎなかった。
文房具コーナー。
綺麗に並べられた色とりどりのペンやノートなどを眺めるのが好きなのだ。
そして─

「あ……」
立ち止まったのは、レターセットのコーナー。
時期なのか、大好きな桜柄のものが多く並べられている。
「そっか、一筆くらい添えた方がいいのかな…」
そう気付いた瞬間には、もうご主人様へ当てた文面が
頭の中に流れ、溢れ出し、止まらなくなっていた。
…本来は、ちょっとしたメッセージカードに
贈る相手の名前、そしておめでとうという一言、
それから贈り主の名前を書いて添えるだけで充分なのだろうが。
だが、元来手紙を書くという行為自体が好きだし、
なにより、もう頭の中に流れ出した言葉を文面にせずにはいられなかった。

見やすい棚に見やすく並べられた便箋を手にとっては、中身をめくる。
これは完全に自分の趣味で選んでしまおう。
自然、9割方桜柄の便箋に手が伸びる。
棚の一番高いところにあった便箋を手にとる。
「あぁ、これが一番素敵だなぁ」
そう思うと、やはり値段に目が行く。
「…高っ！」
高いのは置いてあった位置だけではないようだ。
10枚綴りの便箋が460円。おそろいの封筒が330円。
もっと安いものもあるのだし、こんなところにこんなに金かけなくても…
と思う反面、こんなところでケチらなくても…とも思う。
しばらく物言わぬ便箋とにらめっこした結果、後者の意見が勝利した。
いつもは思いつくままに書き連ねる手紙も、
流石に今回はきちんと下書きをして、綺麗な綺麗な文字で書こう。

一人でいる時ほど、人は純粋にその相手のことだけを考えるのかもしれない。
かさばるプレゼントを持った帰り道、手紙の締めくくりの言葉を考えながら、
同時にそんなことをぼんやりと思う。
自分の脳みその溶けっぷりを実感した一日は、
長いようで短くて、憎々しくもあり、それでいてたまらなく愛しく感じた。

カズさんが香水をつけるようになったのは
ユキさんがいなくなるちょっと前からだ。

イヴサンローランのブルージーンズ。

私は、この香りが大好きだ。

だけど、この香りのカズさんに抱かれるのは嫌い。
…というか、切なくて、切なくて、どうしようもなくなる。

それは、この香りは、ユキさんの香水の香りだから。

「ご主人様には他の人がたくさんいても
　私には、ご主人様しかいないんです」

「お、いい言葉だな」

…台本書きにお役立て下さい…（苦笑）

ご主人様とデートするなんて滅多にない。
二人でご飯を食べるとか、行動を共にすることはよくあるが、
趣味趣向に付き合って行動を共にすることはない。
即ち、デートなどしたことがないのだ。
したいかしたくないかで言うと実はどうでもいいのだが
それでもご主人様を私のワガママに付き合わせてみたい、という欲求はある。

というわけで、初めてご主人様をデートに誘ってみた。
といっても、仕事の合間の微妙な空き時間を使って、だが。
球体間接人形展。
本当は東京現代美術館に行きたいのだけれど、
近くて誘いやすい、渋谷の小さなギャラリーに。
中途半端に臆病者な私。

二人であれやこれや言いながら鑑賞。
ご主人様がとんでもないことを言って、私が突っ込む。
そういうぼんやりしつつ、なんとなく楽しい時間。

実は。
夜道で人に襲われた。

月曜の夜だったか。
帰り道、人気のない路地で押し倒されて首を締められた。

あまりのことに誰にも言えず、一人精神を病んでいたわけだ。
誰かに話すには恐怖が甦りすぎてどうしようもなく、
外にも出られず、とにかく自分の中がおかしくなっていたのだ。

結局、今日の朝にご主人様を呼び出し、全てを話した。
ご主人様にしか話せないな、と思ったのだ。

朝早く起こされて呼び出されたご主人様は
恐ろしく不機嫌だったけど、話をしたら、すぐにたくさん慰めてくれた。

そして、催涙スプレーを買ってくれた。

「自分の身を守りなさい。俺以外の人間に痕をつけさせるな」

ご主人様は、束縛することに対して余念がない。
というと、笑い話にも聞こえるわけだが。
ご主人様と一日ずーっと一緒にいて
（と言っても仕事に同行していただけなのだが）
随分と、恐怖心がなくなった。

あぁ、依存症。

精神を病んだ、らしい。

心療内科って、何？

ご主人様に認めてほしい。

それは仕事の面においての話である。

そのためなら手段も選ばない。

私が泣きながら助けを求めることで

ご主人様が私を指導することに熱意を持ってくれるなら

それもまた私なりの努力だから。

手紙が来た。
11月に行ったSMパーティで知り合った人が
その時に取った写真を事務所に送ってきてくれたのだ。

まぁ、それだけならいいのだが。
写真のほかに送られてきたものの内容がありえない。
ヘタすればレイプ予告だね、これは…
SM写真の切り抜きと、エロ漫画。
漫画はご丁寧に女の名前をわたしの名前に書き換えてある。
そして、嫌に達筆な手紙。
「澪ちゃんをこういう風にいじめたいって
　妄想しながら手紙を書いてます…」

どうやら私が見るより先にご主人様はその手紙を開けて読んだらしい。
…どう思ったか、聞かせて欲しい…
嫉妬して欲しいとかどうとかって言うより、
単純にこの気味の悪い手紙に対してどう思ったのか、興味がある。

ただ、私がその手紙を見つけなければ渡される気配もなかったから、
きっと少なからず気持ち悪い、とは思ったのだろう。

ユキさんが数日前から東京に帰省している。
劇団の公演の仕事の為に1週間ほど。

仕事の場でユキさんに会ったけど、何故か緊張してしまった。
帰りにみんなでご飯食べに行くといってたけど、私は断って帰ってしまった。
お疲れ様です、って手を振ったとき、ユキさんが微笑んでくれて、
頭がボーっとした。どういう「ボー」なのかは自分でもわからない。

少しだけ正体のないものに嫉妬した。
カズさんに八つ当たりのようなメールをした。
自分でも、良くわからない。
カズさんは気付いているんだろうな。私の情緒不安定に。
だけどね、呼んで欲しいわけじゃないって事はわかってくれないのね。

明け方。飲みの帰り道。
山手線ホームにて。

「最近お前を見てると、たまに『おっ』と思うんだ」

「どーゆうことですか？」

電車がホームに到着する。
風と轟音がカズさんの声を私の耳から遮る。
それ以上に、きっとカズさんの声も呟く程度だ。

「………」

「何、なんですか？聞こえなかった」

「いや、いい」

「気になるっつの！」

「可愛くなったよ」

「………っっ」

顔が真っ赤になっていくのがわかった。
俯いて頭を抱える私を見て、カズさんが微笑んだ。
いつものペテン師の笑いじゃなくて、犬コロみたいな笑顔。

「…だんだん可愛くなってきたな、お前」

嬉しくて、恥ずかしくて、
それでいて、なんとなく意地悪な気持ちになった。

「最近、色んな男の人にも可愛いって言われるようになりましたよ」

カズさんの眉がピクリ、と動く。
もちろん、動揺なんて見せないように。ほんの少し。

「…誰？」

「内緒」

「…おしおきだ」

「おしおきされたいもん」

そんな日常。ノロケでもなんでもいい。
ご主人様が愛しくて、可愛くて仕方がない。そんな日々。
くすぐったくて恥ずかしくて、少しだけ嫌気がさす。

朝まで、カズさんと、私と、劇団の先輩と、私の友人と飲んだ。
友人は私とカズさん、ユキさんが主従関係であることを知っているSM友達。

女の先輩のカズさんに対する態度で少し凹んだ。
カズさんの友人に対する態度に寂しく思った。

だけど、みんなと別れてカズさんは新宿の路上で恥ずかしげもなく
抱きしめ、キスして、跡がつくほど噛んでくれた。

「ずっと傍にいてほしい。お前に愛してほしい。
　お前に、俺の世界一の女になって欲しい。
　お前を、俺のいる鬼畜の世界に連れてきたい…そして、支えて欲しい…」

ご主人様…この言葉、私だけに言ってくれてるんだって信じてもいいですか…？

深夜、カズさんの自宅兼事務所で仕事をしていた。
カズさんと、私と、残業の女性スタッフ。

彼女は、私とカズさんの関係を知っているのはもちろんだが、
彼女自身カズさんと関係を持っている。

私はこの女が嫌いだ。

誰よりも嫉妬深くてプライドが高くて女々しい部分を自分で気付いていない所が嫌い。
そして、その嫉妬をカズさんに向ける度胸もなく、
その結果が「私は仕事をしてるのよ」を盾にした理不尽ないびり。
ああ。面倒くさい女。いい加減彼女のそれには慣れたものだが、それにしても不愉快。

彼女がさんざん私に嫌味を言って仕事を終え始発で帰った後、
寝ていたご主人様を起こしてさんざんイチャついた。
これも、彼女のプライドが邪魔して出来ないこと。
私は彼女のような陰険で姑息ないびりではなく、真っ向から彼女を嫉妬させるくらいがいい。
ご主人様は私に色んな人と仲良くしていて欲しいと思ってるから、
なかなかそうも出来ないけど。

ただ、彼女は私のようにカズさんの奴隷になることは出来ないのは確かだから、
どんなにいびられても腹が立っても、脅威に感じることはない。

ずっとずっと。
10年も一緒に住んでいたユキさんが急にいなくなって平気なはずがない。

ご主人様は寂しくて仕方ないんだろうな。
でも、寂しいだなんてご主人様に言わせないであげよう。
さりげなく、でも確実に。ご主人様の傍にいてあげよう…

隣で寝てたら、私から抱きしめてあげよう。
悲しそうにしてたら、私から聞いてあげよう。
寂しくなったら、私がたくさん愛してるよって言ってあげよう。

ねぇ？ご主人様。
私、貴方のして欲しいこと、結構わかってるよね…？
そして…案外、出来るでしょ…？（笑）
だから、傍にいさせてね…

「おいで」
カズさんに呼び出された。
結局、大晦日に和解はしたものの、
細かく喧嘩したり距離をおいたままだったりした。

そして、今日も喧嘩した。
つまらないことだ。
私が男の友人に色んなことを相談して、
とてもいい話を聞かせてくれて嬉しかった話をしたのだ。
それに、カズさんは気分を害したらしい。

「俺以外の言葉に救われようとするな」

結局、そうなのである。
腹が立つ反面、可愛くて、愛しくて仕方ない。
それが私の、本当は弱い弱い、ご主人様。

ユキさんが今日、愛犬を連れて名古屋へ引越しした。

私たちは別れの挨拶もせずに。

すぐ会えるもんね、と気軽な気持ちで。

距離が、離れた。